「ちゃんと」暮らすって難しい

教育・子育て・遊び

どうも。しゅんすけです。
我が家では、できるだけ使わないようにしている言葉があります。それは「ちゃんと」です。
子育てしていると無意識のうちに使いまくる「ちゃんと」。でも、その言葉ってあんまり伝わってないように感じるんですよね。今回は、そんな言葉かけと暮らしのお話です。

「ちゃんと」という言葉の意味

ではまず「ちゃんと」という言葉の意味から考えていきます。
ちゃんととは、少しも乱れがなく整っているさま、確実で間違いのないさま、結果が十分であるさまなどの意味を持ちます。

日常生活でよく出てきますよね。特に自分の子どもにはよく使っている気がします。それも無意識に。「ちゃんとしなさい」とか「ちゃんと服着て」とか「ちゃんと洗った?」とかね。笑

ちゃんと数えたら(ここでも使いますね)、1日のうちに何回使っているか気になります。それくらい自然と使っている言葉の一つだと思います。

「ちゃんと」はわかる言葉に変換する

で、この言葉ですが、我が家ではあんまり使わないようにしています。
なんでかって言うと、「ちゃんと」って人それぞれ感覚が違っていて、子どもにはそれが伝わらないと考えているからです。

例えば家族で食事をしている時、椅子に座りながら遊んでいる娘を見て「ちゃんと食べなさい」。めちゃくちゃ普通の光景ですよね。笑

でも、娘にしてみれば「ちゃんと食べる」ってことが「早く食べること」なのか「全部食べること」なのか、それとも「遊ばず食べる」ことなのかがわからない。

その結果、食べ終わるのが遅い娘を見かねて「早く食べなさい!」と声のボリュームを上げる必要が出てくる―――。

ではなくて、早く食べて欲しいなら「○○時までにご飯を食べよう」とか「お米とおかずを全部食べようか」など、子どももわかる言葉かけで関わるように意識しています。

そうすることで、少しだけですが心に余裕を持って子育てできているような気がします。笑

その他にも
・ちゃんと座って    → 背中を伸ばして座ろう
・ちゃんと手を洗って  → 石鹸を使って手を洗おう
・ちゃんと歩いて    → 道路にはみ出ないように
・もう!ちゃんとして! → 言ってる本人も意味がわからない状態。笑

ちゃんとって使い勝手がいいですね。笑
ぼくも無意識のうちに使いまくってると思います・・・。

だからこそ、使う言葉を意識して、「ちゃんと」はわかる言葉に変換できるといいのかなーと考えています。

「足るを知る暮らし」はちゃんとした暮らしではない

じゃあ、今ぼくたちが実践している「足るを知る暮らし」ってちゃんとした暮らしでしょうか。これについてははっきりと「NO」と言っておきます。

なんでかって言うと、ちゃんとしてるって他人の評価だと思うからです。先ほども、ちゃんとは人それぞれ感覚が違うと言いましたが、足るを知る暮らしは、自分たちの本当に好きなもの、やりたいことに目を向けて生きていく暮らしです。そこに他人の評価や価値観は必要ないんです。

だから他人から見て「ちゃんと」している必要もないし、自分たちにとっても「ちゃんと」している必要がない。(自分にとってちゃんとしてるって、結局他人の目を気にしているように感じるので)

ちゃんとした暮らしを目指すんじゃなくて、心が豊かな暮らしを目指すことが足るを知るってことだし、ぼくたち家族には合ってる考え方だと感じています。

そもそも、ちゃんとしようと思ったら、こんな暮らし始めてないですよね。笑

「ちゃんとしているけど、心が貧しい暮らし」ではなく
「ちゃんとしてないけど、心が豊かな暮らし」を目指して―――。

ではまた。

(しゅんすけ)