どうも。しゅんすけです。
雨があがったばかりの公園。午前中に降った雨が、公園内にいくつも水たまりを作り、子どもたちの好奇心をくすぐるような雰囲気を醸し出している。もともとは屋内で遊ぶ予定だったので、着替えなど濡れても良い準備はできてない。さて、そんな状況で娘はどんなことを始めるのか。父親は何を思うのか。子育て中に感じた、本当に大切にしたいことを記録します。
水たまりの公園
先日雨上がりの公園で遊びました。公園には水たまりが形成され、遊ぶにはもってこいな雰囲気です。でも、その日は屋内で遊ぶ予定だったので着替えなどをどこまで準備したか記憶になく、どこまで派手に遊んでもいいか葛藤がありました。
子どもはきっと遊びたいだろうなー。でも、今濡れると風邪を引くかもしれないし。着替えあったかなー。などなど。
父親の葛藤なんかどこ吹く風で、娘は当然「公園で遊ぼう!」と言い始め、とりあえず公園で遊ぶことに。
遊びはじめは、トレードマークの黄色い長靴を履いて、ちょっと濡れてる滑り台などで遊んでいた娘ですが、とあるくじらの滑り台の着地地点に、深めの水たまりを見つけました。
一瞬の確認、そして入水
その水たまりをじっと見つめたまま5秒。
一瞬ぼくの顔を見てから、次の瞬間―――。
飛び込みました。
まあ、そこまではよかったんですが、気づいたら靴も靴下も脱いで、裸足でどろ遊びのスタート。
当然、ズボンや上の服もベチャベチャ。
そんな中でも、泥のケーキ作りが始まったり、水たまりの泡を消す作業が始まったり、遊びは尽きません。
大人都合のダメを言わずに付き合えたら
で、一通り遊び終わって車に帰り着替えの確認です。上の服→ある、パンツ→パンツはないけど布おむつのカバーで大丈夫、肌着→ある、ズボン→ない!?。ズボンがありませんでした。
どうしよっかなーと思いましたが、車移動だし、家まですぐだから我慢してもらおうと考え帰り始めました。しかし、そこで終わらないのが3歳児。家に着く前に「トイレに行きたい」と言い始めます。
さすがにトイレに連れて行くときにズボン無しはまずいかと思ったので、何か代わりになるものはないかと探したら、以前車に入れておいた雨具のズボンを発見。なんとかそれを着せることで、無事に家に帰ることができました。
こんな経験、子育てをしていたら日常茶飯事だと思いますが、今回のことで改めて「大人の都合でダメとは言いたくない」と思いました。
娘が水たまりに入りそうなとき、「着替えがないからダメ」と言うことはできたと思います。でも、入りたそうな娘と、この水たまりで遊んだら楽しそうだなという親子の暗黙の了解で「ダメ」を言うことはありませんでした。
そもそも、前の仕事を辞め、今の暮らし方を始めたきっかけのひとつに、子どもと関わるときに「ダメ、もう帰るよ、やめて」などの言葉がけをしたくないというのがありました。
ダメ(この後が大変)、もう帰るよ(疲れたし、晩ご飯も準備しなきゃ)、やめて(他の人に見られてる)。きっとこの言葉がけは( )の中に入るのが本音で、それはきっと大人の都合だと考えています。
でも、今回の水たまりの件のように、たいして準備していなくても大概のことはなんとかなりますよね。結果だけを見れば、子どものやりたいも叶えて、自分も何とかできたという自信がつく。そんな関わりが気に入っています。
完璧を求めすぎずに、このくらいで十分と思える心の余白があれば、水たまりで水浸しになる娘とも楽しく遊べる気がした出来事でした。
PS.
とはいえ、理想通りにいかないよなーと毎日感じてます。
あと「そもそも父親の準備不足だろ」というご指摘は、甘んじて受ける所存です。
(しゅんすけ)