どうも。しゅんすけです。
今回は、ちょっと前に読んだ『百まで現役 百裁館』を読んだ感想及び暮らしに役立ちそうなことの紹介です。(^^)
この本は筆者がJAに勤めながら実際に活動してきたことをまとめたもので、お年寄りの知恵や技術を活かして、様々な活動に生き生きと取り組んでいる様子がわかります。
今ぼくが取り組んでいることも、ほんの少し前までは「当たり前」だったんだなと感じさせてくれる一冊です。
では、ご覧ください。
理想の農業・農村とは
そもそもですが。
ぼくがこの本を手に取ったきっかけを話させてください。
この本を書かれたのは渡辺広子さんという方なんですが、今は地元で「食育工房 農土香」という飲食店をされています。
地のモノや体にいい食材を使い「食べる」という本質的なことを改めて考えさせてくれるお店です。
そして、めちゃくちゃ美味しい・・・。
米粉ピザは衝撃でしたね。
で、そのお店でご飯をいただいた時、色々なことを教えてもらった流れで、この本を紹介してもらいました。
でも、なかなか見つけることができずにいたんですが、とある図書館で見つけることができ、早速読破。
その話をさせてもらいます。(^^)
まずは「理想の農業・農村とは」という話ですが、本書はJAの活動を中心に進んでいきますので、農業は最重要テーマです。
で、昔の農業は金はなくても助け合うことができる、そんな暮らしがあったと言います。
書籍の中で、こんなことを言うお年寄りがいます。
「昔は気持ちがゆっくりできた。金はなくても、助け合いがあった」
昔と今を比べるっていうのは、色々と難しい問題もあると思いますが、現代において「気持ちがゆっくりしている」人はどれだけいるでしょうか。
なんなら、そう言い切れる人はどれほどいるでしょうか。
そんな気持ちは、ふたき草が目指す「心が豊かな足るを知る暮らし」に通じる部分もあると感じています。
理想の農業・農村とは、そんなゆっくりした気持ちで、助け合いながら暮らすことなのかもしれません。
「協同」の暮らしから「競争」の暮らしへ
この本に出てくる農村では、「アズキ汁」という料理があるそうです。
昔は農作業の合間なんかに、おやつとして食べていました。
でも、このアズキ汁の味が昔と今では違うそうです。
どう違うかと言われると、表現するのは難しいんですが、言葉にするなら「協同の味」から「競争の味」に変わったとのことです。
みんなでワイワイ言いながら作っていたアズキ汁も、今はそれぞれの家庭で作るのが普通。
そうすると、「○○さんの作った方が美味しい」とか「これはもっと味をつけなきゃダメ」とか、そこに競争が生まれます。
そんな心の問題で、アズキ汁も味を変えてしまったのかもしれません。
そして、そんなアズキ汁の変化は暮らしにも影響を及ぼします。
暮らしそのものも、みんなで協力しながら、補いながら暮らしていた「協同の暮らし」から、隣にいるやつよりも豊かに暮らしたいという「競争の暮らし」に変化していった。
お金は増えたけど、心は貧しくなった。
他人と比べて、自分が豊かだと思うんではなく、自分たちの求める豊かさを求めることが大切だと考えさせられる瞬間です。
自給自足はみじめ
そして、この本ではお年寄りたちが邪魔者扱いされる描写もあります。
そんな中、それまでの暮らしでは当たり前にやっていたことが、どんどん自動化され、機械かされ、サービス化されていきます。
そうすると、自給自足的な生活をすることはみじめだという価値観が生まれます。
お金を払えば、やってくれるのに、わざわざ自分でやるなんてばからしい。
本当にそうでしょうか。
ぼくは納豆を手作りします。
乾燥大豆を浸水させ、蒸して、発酵させて・・・。
でも、こんなことって、昔は普通だったんじゃないでしょうか。
たかだか数十年のうちに、納豆は買う物っていう価値感が当たり前になってるだけで、実はそんなことはありません。
そして、みじめだとも思っていません。
自分でできることは自分でやる。
そんな当たり前のことをやっているだけです。
子どもに言うことはありませんか?
「自分でできることは自分でやりなさい」って。
そんな言葉が大きなブーメランとして自分自身に返ってきているような気がしてなりません。
はい。ということで、今回は『百まで現役 百裁館』の紹介でした。
書店とかには置いてないと思うので、興味のある人は図書館なんかも活用しながら探してみてください。(^^)
一冊通して感じたのは、今ぼくが目指している暮らしも、一昔前までは当たり前だったってこと。そして、そんな暮らしは競争ではなく、協同の暮らしだったってことです。
昔の人にできたらな、自分にだってできるはずです。笑
これからも、足るを知る暮らしを実践しながら、心が豊かな暮らしも目指していきたいです。
では、今回は以上です。
PS.
本の中に「老人は不要なものを素晴らしいものに変える魔法使い」という言葉が出てきます。
本当にそうだよなーと思いました。
以前のブログでも修理のことを書いたことがありましたが、技術はどんどん失われていきます。
便利になったことで人間は退化しているのかもしれないと感じる今日この頃です。
(しゅんすけ)