どうも、やよいです。
先日、夫が初となる電子書籍の出版をしました。
早速読んでくださった方々、ありがとうございます!
レビューや温かい声が励みになっています。
今まで何度も夫の価値観や考え方に助けられてきた私です。
この本が、まだ出会ったことのない誰かや、なんらかのモヤモヤを抱えた方にとって、ほんのちょっとでも助けとなるきっかけになってくれたら嬉しいです。
出版を記念して何かお祝いをしたかったので、娘と一緒に「中華まん」を作りました。
今日はそのことについて書きたいと思います。
食べたいから作る!
我が家は基本的に一週間に一度買い物へ行くのですが、最近「中華まん」が食べたいと思っていたので今週はその為にひき肉などを購入。
旬の野菜をベースに食べたいものを考えた上で買い物に行くことも多いので「食べたいから作る」という楽しみが、料理のモチベーションとなっています。
今あるもので食べたい料理を考えて作る習慣もあり、最近は「アレがないから作れない」から「アレがないなら、コレを代用してみよう」という思考が増えてきた実感があります。
これも作れるかも
「中華まん」は一度実家で作ったことがありましたが、時間をかけて生地を発酵させて作るのは今回が初めて。
今まで当たり前に購入していたものが手作りできると分かると「これも作れるかも」という思考になってきます。
この感覚は、どんな小さなことでも良いから、自分の可能性に期待させてくれる前向きで大切にしたい思考です。
大人も子どもも「自分にはできない」ではなく「自分にもできる」と思える経験、大切だと思います。
「こんなに美味しいなら買わなくていいね」という言葉ももらえて、嬉しかったです。
見た目より愛情
以前餃子を作って焼いた時のこと。
上手くひっくり返せず生地がフライパンにくっついて沢山破れてしまった時、私は涙したことがあるんです。
餃子って結構手間がかかるんですよね。(その作業自体は好きです)
餃子が上手に焼けなかったことで、一気に残念な見た目になってしまったことがショックでした。
料理の見た目は、食欲や気分を高めてくれる大切な要素です。
私のお母さんは料理の盛りつけや彩りをとても大切にしているので、見た目も味も美味しい料理を当たり前のように食べて育ってきたこともあるのでよりそう思います。
しかし、見た目や味以上に「作ってくれた」ことに喜びを感じた経験のある方も多いのではないでしょうか?
例えば、何か特別な日に誰かが自分のために料理を作ってくれた、とか。
オムライスは溶いた卵を焼くものだと思っていた私が、それを面倒だと感じていた日。
「目玉焼きでも同じ卵だよね」と夫が言ってくれて救われたこともありました。
ほんとにその通り。
知らず知らずのうちに固定概念がいっぱいの料理。
娘と一緒に包んだ中華まんは、破れて具がはみ出ていたりもします。
具をモリモリにしがちな私だから、破れやすい。(春巻きとかも)
でも、皆で出来立てをハフハフ食べる時間は、幸せで美味しかった。
試してみる機会が何度もある料理
日々の生活において「食事」というのは頻度も多いです。
生きていく上で欠かすことのできないのが食べることなので、だからこそ食事や料理を楽しめる人は強いなと考えています。
毎日のことで当たり前のようにしているからこそ、食を大切にできていることが日々の豊かさに繋がると思うからです。(自分で作るだけでなく、できているものを買ったり外食することも含め)
「中華まん」って下に敷き紙がありませんか?
あれは生地が蒸し器にくっつくのを防止するためにあるそうです。
1回目クッキングシートを敷いたら結構生地がくっついてしまったので、2回目以降はお皿を生地の下に敷いてみました。
その結果、お皿の方が底面の生地が剥がれませんでした。
ゴミをなるべく出さないという点からも、嬉しい結果。
今度は白菜やキャベツなどの葉物野菜を下に敷いて蒸してみたいと思っています。
何度も試せるのが、料理。
PS.
「ふたき草」のメルマガに登録してくださっている方からの返信で、たまーに登場する私(妻)のブログも楽しみにしているという一文を書いてくださった方がいました。
とっても嬉しかったです。
正直私は文章を書くのに結構な時間がかかるのですが、色々なことを思考する時間や文章を書くことや読むことは好きなんです。
文章って読むのはあっという間ですが、書くのには時間がかかります。
メルマガの返信を書くことに時間を作ってくれ、わざわざ想いを伝えてくださった方に、この場を借りて感謝を伝えたいです。
(やよい)