我が家の掃除~レトロイノベーション~

自然・暮らし

どうも。しゅんすけです。
突然ですが、我が家には掃除機がありません。ルンバもいません。毎朝、箒と塵取りでほこりを掃き、かたく絞った雑巾で拭き上げます。なぜそんなことをしているのかと言うと、シンプルに「掃除機よりも良い」と感じたからです。今回は、そんな我が家の掃除についてお話してみたいと思います。

掃除すること

今回は「掃除」についてです。今の暮らしを始めてからほぼ毎日、朝起きてまず掃除をするのが日課になっています。結構掃除好きなんですよね。綺麗になっていく感覚と言うか、一種の達成感があって、「よし!今日もやるか!」って気持ちになるんで。

でも、子どもの頃は掃除が苦手でした。学校でやる掃除とかはちゃんとやってたんですけど、家の掃除となると親にお任せで、片付けもロクにできないような子どもだったと思います。

そんなぼくですが、数年前掃除に対する考えが180°変わる言葉に出会いました。それは「掃除は心磨き」という言葉です。

それまでのぼくは、掃除は部屋を綺麗にするためにやるものだと思っていました。だから汚れていなければする必要はないし、目に見えて汚くなければ気にしていなかったんです。

でも、この言葉に出会って気づいたことがあります。仕事や家のこと、体調や日常の些細な事、どんなことでもいいんですが、上手くいってないときほど部屋が汚れているってことです。

まあ、部屋の汚れは心を映す鏡とかいうつもりもないんですが、少なくともぼくにとっては自分の心の状態が部屋に表れていたと思います。

で、部屋を掃除してみると、あれだけモヤモヤしていた仕事のことや家のこともスッキリしたような気がしてくるんですよね。

この感覚と、「掃除は心磨き」という言葉がマッチして、それ以来ぼくの中での掃除は意味が変わりました。「一掃きすると心の塵が一つ消え、一拭きすると心の輝きが一つ増す」。

そんな気持ちで毎日掃除しています。(というか言い聞かせて。笑)

シンプルな道具の良さ

で、最初の話に戻りますが、我が家には掃除機がありません。なんでかっていうと箒や雑巾など、シンプルな道具の良さに目覚めてしまったからです。

例えば箒と掃除機を比べてみると、箒は電気不要で軽いので扱いが簡単、構造がシンプルなので床を掃いたり、狭い隙間から埃をかき出したり、なんなら壁や天井だって掃くことができます。一方掃除機は電気が必要で重たく、形が決まっているので狭いところには入りませんし、万が一壊れてしまったら自分で直すこともできません。(少なくともぼくは直せません)

こんなことを考え始めると「あれ?掃除機って掃除を楽にするために使われてるはずなのに、楽になってるか?」と疑問を持つようになりました。

その結果、今では掃除機なしの暮らしをしているわけです。

シンプルな道具の良さは汎用性の高さにあると思っています。つまり、色々な使い道があるってことですね。

さっきも言ったように、箒には床を掃くという役割の他にも狭い隙間に落としたものをかき出したり、高い所の物を取ったりすることもできます。3歳の娘とは柄の部分を使ってリンボーダンスやジャンプする遊びをしたこともあります。笑

掃除機じゃこうはいかないですよね。洗練されたものほど余白がなく、工夫する余地がありません。

シンプルな道具にはこういった余白があります。そんなとこが気に入っている理由です。

レトロイノベーション

少し話は変わりますが「レトロイノベーション」って聞いたことありますか?ぼくの好きな言葉の一つなんですが。

意味は「古いやり方で前に進む」とでも言いましょうか。環境問題に関心を持ち始めた時に「捨てないパン屋」で有名な田村さんが使っているのを聞いて、それ以来使わせてもらっている言葉です。

田村さん曰く「環境問題はみんなが100年前の暮らしに戻ればほとんど解決する。でも戻れない。人間は一度手にした便利を手放すことはできない。だから戻るんじゃなくて、昔のやり方で前に進んじゃえばいい」。

というような話をされていて、すごく共感できました。
環境問題ってどうしても「我慢」や「後戻り」みたいなイメージがあると思うんですが、我慢していても続かないし、後戻りはできない。とすれば、古いやり方で「よりよく」しちゃえばいいんだと思ったのを覚えています。

その実践のひとつが「掃除」です。箒や雑巾は古い道具ですが、それらを通して今までよりも便利な暮らしを実現できれば、こんないいことないですよね。

できることから少しずつ。「掃除は心磨き」。そんなことをつぶやきながら今日も家の埃を掃いています。

(しゅんすけ)