どうも。しゅんすけです。
足るを知る子育てシリーズ。今回のテーマは「選択する力を伸ばす」です。(^^)
生きていれば、様々な場面で選択を迫られることがありますよね。
それは、小さな子どもであっても同じこと。
レストランのお子様セットについてくるおもちゃを選ぶ際に、あれにしようかこれにしようか優柔不断な我が子の姿にソワソワしたことのある人もいるのではないでしょうか。笑
はい。ということで今回は、そんな「選択する力」についてと「その力を伸ばす関わり方」について書いていきたいと思います。
興味のある人はどうぞご覧ください。
選択する力
ではまず、選択する力についてです。
とっかかりとしてイメージしやすいのは、冒頭でも話したような「AかBか」みたいな、選ぶ瞬間ですよね。
自分が欲しいものを見極めて、どちらか一方を選ぶ。
例えば、無限にお金があって、何でも手に入るような環境で生きているのなら、選ぶ必要もなくなってくるのかもしれませんが、まずそんなことはありません。
両方を天秤にかけて、どっちが良いかということを真剣に悩みます。
でも、ふたき草でいう「選ぶ力」はもうちょっとだけ幅が広くなっています。
どう広いかというと、自分がどんな反応をするかということも選ぶことができると考えている点です。
説明しますね。
例えば、子どもがお茶碗を割ってしまった時。
お茶碗が割れたということは「事実」です。
でも、割れたことで凹んだり泣いたりすること、はたまた全然気にしなかったり・・・。
この反応は「選択」です。
自分がどういった反応をするかってことは自分で選ぶことができるんです。
意識していないと、この反応はコントロールできないものだと勘違いしがちです。
今自分がイライラしたり、感情的になっているのは「お茶碗が割れたから」ではなく「自分で選択している」ということを自覚することがスタートになります。
ぼくは、子どもにはこの「選択する力」を身につけて欲しいと思っています。
先入観を持たない
では、実際の暮らしの中で「選択する力」を伸ばすための関わり方についてです。
話せば色々と長くなりそうなんですが、大きなポイントとして押さえておきたいのは「先入観を持たない」ということです。
先入観とは、まだやってもいないことを「こうだ!」ってイメージしてしまうことです。
先ほどのお茶碗の話で言えば「お茶碗が割れること=残念、悲しい、失敗」というイメージは先入観だってことになります。
そりゃ割らない方がいいですよ?笑
でも、子どもにとっては学びの場かもしれないし、そもそも割ったことが何なのかっていうことをイメージできてないと思うんです。
そんな中大人が勝手に「残念だったね」とかっていうのは違うと考えています。
あくまで子どもの反応を決めるのは子ども自身です。
ちょっと話は変わりますが、ぼくは「かわいそう」という言葉があまり好きじゃないです。
同情しているからとか、上から目線だからとかいう理由ではなく、本人の選択を尊重していないからです。
かわいそうと言われる場面はそう多くはないかもしれませんが、その人の身に起きたことがかわいそうなことなのか、それともそうじゃないのか、別の意味を見出すのかってことは、本人が選択することです。
そこに他人の評価は必要ないと考えています。
子どもと関わる時は「先入観」を取っ払って、フラットな心で関わるように心掛けています。(^^)
本来虫が嫌いな子どもはいない
最後にちょっとだけオマケです。
虫が嫌いな人は手を上げてください。笑
はい。いっぱいいますね。(^^)
では、いつから嫌いなんでしょうか。
遠いはるか昔にさかのぼらないと思い出せないくらいかもしれませんが、産まれた時から嫌いな人はいないんですよ。
じゃあ、なんで嫌いになるのか。
それは周りの大人たちが嫌がっている姿を見て育ったからです。
言い切ってしまうことに違和感を覚える人もいるでしょうが、産まれたその時に虫が嫌いだと遺伝子に組み込まれているわけではなく、後天的に備わった価値観だと考えてるということです。
先ほどの先入観の話ともつながりますが、本来子どもは虫嫌いではないはずです。
でも、公園に遊びに行った時に虫よけスプレーを振りかけられ、虫を手で捕まえた時に「汚いから触らない」と言われ、捕まえたセミを見たお母さんの顔が歪む・・・。
これでは虫好きになるはずないですよね。笑
別に、虫を好きになりましょうという話ではないのでご安心を。(ぼくは好きですが)
ではなく、子どもの選択には大人の関わりが大きく影響してますよって話です。
大人が無意識に使う
・汚い
・うるさい
・綺麗
・嫌い
・好き
・美味しい
・まずい
などなど。
挙げればきりがない程、多くの影響を与えています。
最終的には、なんらかの影響を受けて自分の価値観を決定していくわけですが、大人の感覚をダイレクトに吸収する時期においては、子どもの考えを尊重したいと思っています。
もしお茶碗を割ってしまっても「何やってるの!?」と感情的なるのではなく、「今どんな気持ち?」と聞いてあげるだけでも、子どもが自分で選択する力を伸ばしていけると思います。
では、今回は以上です。(^^)
PS.
選択の話つながりでもう一個オマケです。笑
よく自分の選択を他のモノのせいにすることがあると思います。
例えば「○○しなければならない」ってやつです。
凄い極端な例を出しますよ。
「お金を得るためには働かなきゃいけない」
こんな価値観があったとします。
でもこれってお金を稼ぐための手段として、働くってことを選択しているだけで、実際には働かなくてもお金を得る方法は色々とあります。
それが、投資なのか、人からもらうのか、はたまた盗むのか。(倫理的な話は置いといて)
結局は周りの目だったり、「普通はこう」という価値観に照らし合わせて自分で選択しているってことを自覚すると、また違った世界が見えてきます。
ぼく自身も「選択できる」人生を歩んでいきたいと思いました。(^^)
(しゅんすけ)