どうも。しゅんすけです。
11月20日は「世界こどもの日」です。
1989年に子どもの権利条約が採択された日を世界こどもの日と定めて、世界中の子どもたちの権利を守っています。
今回は、そんな世界子どもの日にちなんで、我が家で子どもをほめる時に気をつけていることを書きたいと思います。ぜひご覧ください。
世界こどもの日と子どもの権利条約
ではまず、世界子どもの日についてです。
世界こどもの日は、世界中全ての子ども達の人権を定めた「子どもの権利条約」が採択された11月20日に制定された、子どもたちのための日です。
子どもは守られるだけの弱い存在ではなく、一人の人間として、尊重される存在であるということを示した条約です。
条約には4つの原則があります。
一つ目は差別の禁止。二つ目は子どもにとってもっともよいことを。三つ目は生きる権利、育つ権利。四つ目は子どもの意見の尊重です。
日々暮らしている中では、なかなか子どものことを尊重できないこともあると思います。
この世界こどもの日に、改めて考えてみるといいかもしれません。
子どもをほめる時は適切にほめる
ということで、ぼくも世界子どもの日にちなんで「子どものほめ方」について考えてみました。
我が家では、子どもをほめる時に気をつけていることがあります。
それは、
「適切にほめる」ということです。
どういうことかというと、その子の能力に見合ったほめ方をするということです。
教育の世界では、ほめることの重要性が語られることがよくあります。
ほめることは、子どものモチベーションアップにもつながりますし、子どもの達成感や、満足感にも影響を及ぼすでしょう。
でも、闇雲にほめればいいわけではなく、その子が本当に頑張ったこと、能力に対して困難な課題を解決した時などにほめてあげることが大事だと思っています。
というのも、ぼく自身が子どもだった頃、簡単なことができただけでほめられることが嫌いだったからです。笑
例えば、これは極端な例ですが、15歳の男の子に対して「ご飯を食べる前に手を洗って偉いね!」って言ったとしたら、言われた男の子は「舐められてる?」と感じて、嬉しい気持ちにはならないと思います。
それが3歳の男の子だったら「認めてもらえた」という感情で嬉しくなるかもしれません。
まあ、年齢だけの話ではなくて、その子の特性や置かれた環境、その時の状況など、様々な条件が重なって、ほめ方が適切かどうかということを考えることが大事ですよね。
対等な立場で関わる
なので、ぼくは子どもと関わる時、「対等な立場」で関わるようにしています。子どもを下の存在と見下して関わるんじゃなくてです。
これは、ほめる時だけじゃなくて、どんな場面でも言えることです。
1人の人格として、その存在を認め、最大限に尊重する。
そうやって関わることで、ほめる時も適切に行うことができてるんじゃないかなーと思っています。
でも、対等って結構難しいです。
暮らしていく中ではどうしても、子どもと100%の力で向き合い続けることができない時もあります。
そんな時は、無理に自分の意見を通したり、子どもの主張を無視したりしがちです・・・。
そんな中でも、子どもと対等に関わるために、ぼくが意識していることが3つあります。
1つ目は「理由を伝える」ということです。
例えば、晩ご飯の準備をしている時に子どもが「遊んでよー」とやってきたとします。
そんな時「今はだめ」と雑にあしらってしまうのではなく、「今は晩ご飯の準備をしているからだめだよ」と言えるかどうかということです。
これって、当たり前のことのように感じるかもしれませんが、意外とできていないことが多いです。理由を言ってもわからないという感情もあるのかもしれませんが、はっきり言って、それは子どもを舐めてます。
子どもにもしっかりと理由を伝える。これは結構大事なことです。
2つ目は「ほめずに驚く」ことです。
「○○できて偉いね!」ってほめると、どうしても上からな感じがしませんか?
ぼくはします。笑
子どもの頃大人にほめられるの嫌いだったんですよー。笑
ひねくれてたもんで。
だから、ほめるんじゃなくて「驚く」んです。
「え?マジ?これ一人でやったの?すげーじゃん!!」みたいな感じです。笑
そうすることで、自然と子どもと対等な立場で関われます。
最後は「子どもを見くびらない」ということです。
子どもはよく見ています。よく聞いています。そして、よく感じています。
大人が思うよりもずっとです。
そんな子どもを見くびると、痛い目を見るのは大人です。
子どもも1人の人間として尊重する。
これを大切に、子育てをしています。
では、今回はここまで。
(しゅんすけ)